• 1872(明治５)年、鉄道頭井上勝からの勧告によって、大阪〜吹田間の鉄道路線は、乙案（神戸線神崎村-現尼崎市-へ迂回して神崎川北岸を走る路線）を排し、甲案（大阪から北上して神崎川を渡り吹田に至る）が採用された。この路線は、1876(明治９)年に工部省鉄道掛により開通し、淀川北岸から吹田までの間が1912(大正元)年に現在の経路に変更されるまでは、東海道線の一部だった。
• 阪急千里線の前身である北大阪電気鉄道（1923年に新京阪が吸収）が資金不足のため、東海道線の経路変更後の廃線跡地払い下げを受けて建設費を節約した話は、別の所に書いた。現在の阪急は、吹田駅の南と南方駅の東で東海道線と交差しているが、この２つの交差に挟まれた、吹田〜南方間の大部分が、旧東海道線の路線敷を転用した区間である。

• さて、吹田、特に旧吹田村は、通俗地名起源説で「水田」と言われるように、耕地の多くが低湿地にあり、近隣の諸村ともども、洪水の危険と共に日常的な排水の悪さに悩んでいた。北部の千里丘陵内の農村の水不足が「山田佐井寺月夜で焼ける」と言われたのに対して、南部の吹田村については「吹田の百姓焼豆腐」という言葉が残っている。つまり、焼けた後は水に浸かっているというわけだ。
• 溜まった水は川に流せばいいではないか、などと簡単に考えてはいけない。安威川・神崎川の川床は長年の堆積で高くなり、低湿地からの排水は容易ではない。むしろ川からは水が溢れてくるものと考えなくてはならない。西の方を千里丘陵から南下してくる糸田川なども同様だ。南吹田の「袋の角」と呼ばれた、糸田川と神崎川の合流点に近い一帯などは、両川の堤に西南方をふさがれ、東北方からは水が流れ込んで来る一方なので、慢性的な水浸かり状態になりかねない。
• そこで、しばしば悪水井路が掘られた。井路は、神崎川と並行する方向に流れ、下流の比較的川床が低い地点で、堤に掘られた樋から川に流れ込む。自分の村から、排水可能な地点まで井路を通そうとすれば、より低地の他村の村域を通らねばならず、場合によっては、村同士の利害が対立することもあった。また、大規模な改修工事でもない限り、川床は次第に上昇していくため、井路もそれにつれて下流へ下流へと延長せざるを得なくなる。吹田方面からの井路は、幕末には、糸田川・高川・天竺川・旧猪名川の下を掘り抜いて交差し、現在の尼崎市域でようやく川に流れ落ちるほどに延びていった。

• 鉄道が開通したことによって、吹田南部を南北に貫通する路線敷の土提ができた。下の地図のうち、左は、吹田市史の付図の一部で、現代の地図に1911(明治44)年の２万分の１地図の情報が重ねられているもの。右の地図は、それより古く、1885(明治18)年のもの。ちなみに、左側の地図で黄色く見える部分は、すべて水田である。

Ａ：現東海道線/阪急千里線の交差 Ｂ：旧北大阪電鉄車庫 　（1921-1927の間存在・ 　　現清和園住宅街東半分・ 　　西境は旧鉄道路線敷・ 　　東境は現阪急千里線） Ｃ：旧鉄道路線敷/現阪急線合流点 　（1921以降北大阪電鉄路線・ 　　ここから南方の手前まで 　　旧鉄道路線敷と現阪急線が 　　重なっている） Ｄ：旧神崎川堤（「国役堤」） 　（堤内東側は現中の島公園・ 　　堤内西側は現下水処理場）

• 川や井路は、時期によって変化があり、上の２つの地図を見比べてもかなりの違いがあるが、中央を通る鉄道路線と井路の関係は、ほぼ同じであると言える。右上隅に見える吹田村集落の西端から下部を流れる神崎川までの間に見える東西の水路は、上(北)から順に、大井路・東南新井路・別府井路・鳥飼井路である。旧堤の内側を流れる後二者は、その名の通り、吹田村より更に上流の村からの排水路になっている。これらの井路は、ずっと下流で川に流れ込む。
• 大井路と鉄道路線敷の交点(1)および東南新井路と鉄道路線敷の交点(2)には、煉瓦作りのトンネルが設けられて「まるまん」と呼ばれた。この呼称については「ねじりマンポ」の項（特にその語義）を参照されたい。まるまんは、三ヶ所あったと言われている（吹田市広報課「わたしたちの町」）が、もう一ヶ所についてはよくわからない（南側の二本の井路は、国役堤の内側にあるので、洪水の際の水防には関係がなさそうだが、古い橋台には井路を通すための煉瓦のトンネルが設けられていた）。
• まるまんは、通常時は、上流の田の排水と下流の田の用水のための大切な通路となっていた。しかし、洪水時には、まるまんは、また別の意味を持っていた。鉄道の土提は、吹田村の水田を東西に二分する位置にある。もしも上流の堤防が決壊したら、東南部の水田は冠水を免れないが、鉄道以西は被害を免れる可能性がある。逆に下流の決壊時には、土提以東に水が上がってくるのを抑えることができる。しかし、鉄道路線がこのような堤防の役割を果たすためには、まるまんで井路を堰止めなければならない。1896(明治29)年の洪水の際、村民が分担してまるまんに土嚢を積んで監視にあたったことが、指揮をした村長木下直次郎によって記録されている。同様に、1917(大正６)年の上流の決壊の際の、まるまん堰止と開放の経過が、町長川端信治郎の回想として記されている。
  • 思ひ出の記
    大正六年の大洪水
  • （其の一）
    • 淀川堤防大冠村大字大塚に於て破壊し、引続き芥川堤防を決潰し下流各町村を濁浪の内に翻弄しつゝ一昼夜にして吹田町人家に迫る。
    • （以下略）
  • （其の二）
    • 従来吹田町に於ては一町大洪水に見舞はるゝ時は、吹田町西野土地東海道線堤塘、地下道同堤塘下の用悪水溝渠に土俵堰を為し、同省線以西の耕地並に字金田、両新田等居住者に対する洪水の被害を縮少保護するの旧慣例の存するあり。今六年の大洪水に於ても、其前例を踏襲して土俵堰を為せしが、上流芥川堤防の破壊箇所堰止容易に進捗せず、相当長日時を経たりしを以て、淀川洪水水位漸次減少の為め前顕省線の堰止工事を撤去し、省線以東浸水水位を低下せしむるも金田、両新田の人々人家は勿論耕地に於ても格別何等の被害なき状況を呈したるを以て、水利組合常設委員並に町会議員等の協議を以て該堰止工事除却を企図し、之を実行せんとするに金田、両新田の人々は殺気立ちて之を肯ぜず、現場に棍棒、スコップ、鍬等の得物を以て之を阻止するの状況通知を受け、自分は芥川堰止現場に滞在出張中なりしが急速帰来し、其報告を検討するに何等支障なく撤去の必要を認めたるを以て消防組頭吉田捨吉氏外二人を従へ現場に対峙せる金田、両新田の殺気立ちて待ちかまへたる人々の中に立入り、犠牲的意気を以て堰止撤去を敢行せしめたり。金田、両新田の人々も唖然として応酬せず無事職責を遂行し得たり矣。
  • 出典：吹田市史　第七巻　1976/8/5
    一五六　大正六年の大洪水の回想　昭和十八年
    川端信治郎『回顧録』（昭和十八年二月）
まるまんを挟んでの緊迫した状況が描かれているが、これは増水の度に河川の両岸の農民が、各々 堤防に集結して睨み合った歴史を思い起こさせるものでもある。

• 大井路は、土提の東を北上（現寿町内の暗渠）した後、現清和園・南清和園の境界付近を西進する。鍋島敏也氏が「セピア色の写真から」で触れている「煉瓦造りの橋」は、旧土提が撤去された後も「太鼓橋」と呼ばれて戦後も存在していたまるまんである。

現在では、大井路は暗渠となって曲がりくねった路地の下を流れている。まるまんは、民家に挟まれた路地の途中に突然出現するトマソン風の遺構として、その痕跡をとどめている。井路の両岸だった部分のほとんどは、コンクリートの段になっているが、その西側には当初の姿を髣髴とさせる煉瓦積の一部が現存している。この遺構はまた、大阪京都間に最初に敷設された鉄道が、まさしくこの場所を通過していたことを証明するものでもある。

左上：西北煉瓦積 　左下：東口側より西 　右下：西口側より東

• 大井路から別れて南寄りのルートをとる東南新井路は、現寿町二丁目から現川岸町に向けて、土提を潜る。もちろん現在では、井路は暗渠化されているが、土提が阪急千里線の線路敷として残っているのに伴い、まるまんも、ほぼ原形をとどめている。

左：西口

まるまんの出入口のところでは、水面が露出している。東口では、現在の舗装道路の路面が高いために、まるまんの下半分が隠れてしまっているが、西口では煉瓦積アーチの完形を見ることができる。

右：東口

• まるまんを過ぎると、二つの井路は、千里丘陵の麓から下る水路や、垂水村から糸田川を潜って流れ出る井路等と合流しつつ、南吹田一帯に縦横に分岐し、水田の用水となった後、袋の角で糸田川を西に潜り、垂水・江坂の南部に入る。
• 現在では、井路のほとんどは暗渠となり、露出している部分もコンクリート溝の水路になっているので、まるまんは、井路の往年の姿を示す数少ない遺構の一つと言える。
• 二つのまるまんのちょうど中間の地点には、線路によって分断された形の府道がある。将来、この道路は、線路と交差し、神崎川を渡って西淡路に向かうことになっている。阪急千里線が、この区間で高架化される日が来れば、東南新井路のまるまんは、姿を消すことになるかも知れない。

参考資料

• 近世以降の吹田の歴史　研究紀要第49号　吹田市立教育研究所　1982/3/31
• 吹田の歴史　No.1　吹田市史編さん委員会　1972/6/30
• 南吹田の歴史　吹田市立吹田南小学校　山本博保編　1978/11/11
• 吹田市史　第三・七巻　吹田市史編さん委員会編　1974-1976
• ききがき吹田の民話　吹田市市長公室広報課編　1984/3
  • ききがき吹田の民話　文・阪本一房　きり絵・吹田きりえグループ
  • わたしたちの町　文・吹田市広報課
• きりえさんぽ吹田　吹田市市長公室広報課編　1988/3
  • 旧街道を歩く　文・加賀眞砂子　切り絵・栗本昇
  • セピア色の写真から　文・鍋島敏也　切り絵・栗本昇