去る寅年三月、京三条通上ル所に、大津の車牛、急病起り、牛方数多寄り色々介抱致すと雖も、その験なく、遂に死す。然るに、御上人・講中通りかかり、数多の人々たかりいる故、何事ならんと差し覗きけるに、右牛は死したる様子なれども、不憫に思ひ、懐中より御上人の御名号取り出し、牛方へ与へ、右御名号を戴かせしに、喉へ通るや否や息吹き返し、むくむくと起き上りし故、居合す人々奇異の思ひをなし、一枚の名号にてかくの御利益を眼前にて見たる人々、その有難きを感じ、菩提心を得たるなり。この歌、その時詠ませられけり。

• 去ル寅年
  最も近い寅年は、1866（慶応２）年。それより前の寅年(1854以前)では、明意上人はまだ「衆生化益」の活動を始めていないので不適（年表参照）。
• 大津の車牛
  後に琵琶湖疏水が造られるまで、大津方面から京都への物資輸送には、牛が活躍していた。大津から逢坂山を越え、山科の北部（旧三条街道）を横切って、九条山を越え、三条大橋に至る。後の旧国道一号線・京阪電車京津線のルートに近いが、九条山を越える道が難所で、牛にとっても牛方にとっても重労働だった。
• 御上人講中
  明意上人と、大坂清心講のメンバーで、冬行百日後の出山に同行していたのだろう。あるいは、四天王寺太子堂再建のための勧進を行っていたのかも知れない。前後の文の書きぶりからは、明意上人の存在が希薄で、一行に加わっていないようにもとれるが、最後に「この哥其ときよませられけり」とあるので、同行は明らかだ。
• 御上人の御名号
  もちろん「明意上人の名号」ではなく、明意上人筆の「南無阿弥陀仏」六字名号の意。このあたりの行為者が不明瞭だが、動作に敬語が全くないことや、「くわい中より御上人の御名号とりだし」という表現からして、講のメンバーの行動と思われる。かねて明意上人より授かっていた名号の紙片を牛方に渡して、牛に飲ませるように指示したということだろう。
• ぼだいしん
  一般には、さとりを求める意志。ここでは、むしろ「道心」に近いか。